働くとは“傍(はた)を楽(らく)にすること”
があまりピンと来ない
妻は“夫に養ってもらう”とか“結婚して幸せにしてもらう”という考えを
望まないしあまり好ましく思わない人だ
だから妻も働いているし
私に楽にしてもらおうとはきっと考えていないと思う
私もそうだ
働くとは働きなのだと
じっと見た掌の毛細血管を見て思う
彼らは今日も私を生かしてくれているが
おそらく私の存在を慮って仕事をしている訳ではない
たまに思い立った時
私は掌に向かって
「ありがとう。」と言う時がある
でもきっと彼らは
「あぁそうですか。そんなつもりはなかったですがそれはよかったですね。」
という感じだろう
私はたまに家族や患者さんに
「ありがとう。」と言われる時がある
流石に「そんなつもりはなかったですが」なんて言いはしないが
「それならよかった。」とは思う
昔仕事について考えていた際作ったメモに
“自動販売機になりたい”
と書いていた
ボタンを押すとその金額に合った
希望通りの商品が必ず出てくる
私にはそれが出来ているだろうか
すごい事だ
最高の自動販売機になりたい
どんなTPOにも対応した
色んな種類の
支払った金額通りのものを提供できる
そんな働きができるような存在になりたい
たまに思い立った時
私は自動販売機に
「すごいっすね。尊敬してます。」と言う時がある
当たり付きの自動販売機
7778
で止まった数字
あ、ごめんなさい
あなたはちょっと